くりりんのブログ

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私が痛いと言う時には本当に痛いのよ

おはようございます。

 

表題のとおり、「私が痛いという時には本当に痛いのよ」について思うことがありましたので書いてみます。

 

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私が痛いのであって、あなたが痛いか痛くないかは関係ない

これは私自身よく思うことです。一方で私自身も相手に全く同じことをしているなと反省しなければならないなと思いました。

人によって、痛みを感じやすい部分や、状況というものは違います。感受性や感覚、受容体というのでしょうか、その人にとってはすごく痛いし、ある人にとっては全く痛くない。そんなもの人によって違って当然でしょう。

そんなことは誰しもわかっているはずなんですよね。

 

だけど、日常生活において、足をどこかにぶつけたとして、かなり痛がったとして、他人にそこまで痛くないでしょとか言われたり、言ってしまったり、人に少し言われて落ち込んで傷ついて、それについてまた弱いと言われたり、言ってしまったり。

私の場合は、睡眠時間について6時間を切るとかなり頭が回っていない自覚がありますし頭痛がしたりします。でも6時間以下の睡眠時間の人って普通にいるでしょう。でも私は睡眠時間が少ないと本当にダメなのです。

だけど、それぞれの人間の特性が絶対に違うはずなのに、ある人の感覚だけで判断したりされたりすること、これってバカげているなと。

自分の痛みは自分にしかわからないのに、他人を評価したり評価されたり、わけがわからないのでもうやめようと思いました。

 

昨日、4歳の息子が変な態勢で寝たから足が痛い。抱っこしてくれと言って全然立ち上がろうとしませんでした。それに対して私は、私の尺度で、膝を触って腫れていないし、抱っこしてほしくてよくわからんことをいっているなぁと思っていました。

蕁麻疹のようなものも出ていたので病院には連れていきました。先生も両ひざが同時にいたくなるのはちょっとよくわからない。子どもってこういうことよくあるんで様子見ですかね。。。。といった感じで診察してくれました。

この時私は、息子に対して、若干ふざけているのかなと思ってしまいました。

 

しかし!表題のことを思い出して、息子が痛いって言っているんだから本当に痛いんだな、痛かったんだなぁと思うようになりました。

 

なんだか悪いことをしてしまったような気持ちになりました。

 

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私が痛いという時には本当に痛いのよ

この一言に尽きますね。村上春樹さんすげー。この言葉のインパクトがすごい。

とにかく私自身は周りがどう言おうと、私が痛いと感じたときは他の人にとっては些細なことであっても、私にとっては痛いんだと、劣等感を感じることなく堂々と痛がっていきたいなと思います。もちろんそれは人に見せる部分ではなく心の中だけではありますが。

自分が痛いというと、それについてどうこう言われがちです。まわりがどうとか関係ないのです。私にとってそれは痛みなんです。イチイチそれが本来感じるはずのない痛みだとか悩まなくていい。痛いのは間違いない。

痛みを感じるから弱いとか、無能だとか、やる気がないとかそういうことじゃないんです。たまたま自分がそのことについて感受性が高いとか、受容性があるとか、そういうことなんです。

一方で、私自身も他人が何か痛みを感じていることがあれば、私にとっては大したことに感じなくても、その人にとっては痛いことなんだと寄り添っていきたい。

そういう人になりたいなと思いました。

 

ここ数日、今までにないくらいメンタルがやられ気味です。自分がこんなに弱い人間だとは思いませんでした。引っ越しをしたり、家庭環境が変わったりしてきた中で、対応してきたので環境への適応能力は高い方だと思っていました。しかしそんなことはなかったようです。

自分の存在価値というものが本当にないんだなぁということを実感する日々です。

生きてていいのかなぁとか思ったりしました。

そんなことで?と思われるかもしれません。どう思われたって構いません。

私が痛いという時には本当に痛いのよ、ということです。

 

自分が嫌だなぁと思うパターンというものも見えてきました。わかっていれば対策が打てます。こういうのは私にとっては嫌なんですと、人に伝えることで避けることもできるかもしれません。

自分以外の人に対しても、痛みに寄り添える人になりたいなと思います。

でも人はほぼほぼ変われないとは思いますので、できる範囲で変わっていきたい。それを繰り返していくうちにいつの間にか本当に変われるのかもしれない。

そんな自分になれることを期待したいなと思いました。

 

 

本日は最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた。