くりりんのブログ

気が向いたときに更新します♪

「させていただく」の使い方

おはようございます。

先日読んだ「させていただくの使い方」という本の内容が面白かったので書きます。

法政大学文学部英文学科教授の椎名美智さんという方が書かれています。

 

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「させていただく」という言葉は、便利というかよく使われている割には、この言葉をすごく嫌っている方が多いなぁという印象があります。

この本ではその理由を解説していて、私自身なるほどなぁと思えて、面白かった。

 

「させていただく」という言葉の使い方が間違っているとかっていうことを書いている本ではなく、どうして違和感を感じる人がいるのか、どの世代、どういう使い方に違和感を感じるのかということを説明しています。

 

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SMAPとV6の解散劇

SMAPが解散を発表したのが2016年でした。その時は、「解散させていただくことになりました」というファックスがマスコミ関係者に送られたそうです。

この時は、色々な報道により色々大変だったんだなぁという印象が強かったです。

対照的だったのは、

V6が解散を発表したとき、彼らのホームページには、

「とても大事なことなので、自分たちの言葉で皆さんに伝えます。僕たちV6は、2021年11月1日をもちまして、解散します」とあったようです。

なんとなくですが、V6の解散の方が、自分たちの意思で解散するって決めたんだ。というものが伝わってきて、個人的には未来へと向かう感じがして、SMAPの解散とはだいぶ印象が違うというか、解散しても個人個人を応援したくなるなぁと感じました。

ファンの方はまた違った印象をもたれてのかもしれませんが。。。

 

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違和感の原因

「させていただく」をそもそも正しく使うには、

①その言葉に相手が必要か「必須性」

②相手や第三者の許可を受けて行うこと「使役性」

③そのことで恩恵を受ける事実や気持ちがあること「恩恵性」

という3つの要素が必要だとのこと。

 

しかし調査の結果、「恩恵性」と違和感との関係はなかった。

そこで、「必須性」と「使役性」を中心に違和感を感じるのかをさらに調査しています。

例として

  1. では、ご契約内容について説明させていただきます。(必須性+、使役性+)
  2. 受講票を確認させていただきます。(必須性+、使役性+)
  3. お言葉に甘えて、会議室を使わせていただきます。(必須性-、使役性+)
  4. 微力ながら応援させていただきます。(必須性-、使役性+)
  5. ここでの飲食は禁止させていただいております。(必須性-、使役性+)
  6. 素晴らしい演技に感動させていただきました。(必須性-、使役性-)
  7. この度、〇〇大学を卒業させていただきました。(必須性-、使役性-)

こんな感じでまとめ、、、

調査は、若年層、中年層、高年層と年齢をざっくりわけて行われました

 

1と2に関していうと、あまり違和感を感じないですよね。中年層が最も違和感を感じたようですが、全体として最も違和感を感じなかったようです。

 

3は、私自身もほとんど違和感を感じません。1と2の次に全体として違和感を感じないという結果になりました。

 

4と5になってくると私自身やや違和感を感じます。

「応援する」とか「禁止する」といった行動には、相手の関与や存在が必要になりますが、聞き手の関与なしに一方的に行為を宣言しているので少し違和感を感じます。

冷たい感じとでもいいましょうか。少し嫌な感じがします。

調査でも、3の次に違和感が強くなってきているとのことです。

 

最後。6,7になると私は強く違和感を感じます。

「感動する」や「卒業する」という行為には、聞き手の関与もないし、許可を得る必要もない。話し手が自分の意志でできる行為なので違和感が最も高くなった。ということでした。

 

これは違和感を感じるから偉いとか、そういう話ではありません。世代を中心に傾向が分かれるようですが、正しいとか間違っているとかそういう話でもありません。

 

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敬意漸減(敬語のインフレ現象)

「敬意漸減の法則」というものがあって、これは、

敬語に含まれている敬意が使われていくうちに少しずつすり減っていく現象のことです。

尊敬語のように、敬意を相手に向けて相手を上に位置付けるような、表現の場合、敬意がすり減ってくると、相手が自分と同じかあるいは、自分よりも下に下がってきてしまいます。

例えば、「貴様」という言葉は、江戸時代には、目上の人にあてた手紙などに使われていましたが、だんだんと敬意がすり減り、「俺」と同等になり、今では喧嘩や相手を罵倒する場面でしか使わないような言葉になっています。

また、

謙譲語のように、自分がへりくだる言葉だと、自分に焦点が当たって、自分が尊大化して偉そうに聞こえるようになっていきます。

例えば、「司会をいたします」といった場合の「いたす」は丁重語です。「いたす」はもともとへりくだりの言葉なのですが、使われていくうちに敬意がすり減って、今では格式ばった言い方になっています。

このように敬意漸減はどんな敬語も逃れられないということです。

 

これを知って確かに、言葉の使い方感じ方が世代間で違うのは、この敬意漸減の影響が大きいんだろうなと感じます。

若い世代では、敬意漸減によって敬意が減ったように感じていても、年齢が高いとそうは感じていない。そういうところでギャップがあるから、言語感覚に違いが生まれるのかな。面白いなぁ。

 

前職で、50代後半上司がお客さまに電話しているときに、お電話差し上げますって言っていて、私には、ずいぶんと恩着せがましい言い方に感じられました。だけど、もともとは本当に敬意のある言葉だったものが、敬意漸減によって私のように、恩着せがましく感じる言葉になってきたんだなぁと思い、納得感がありました。

これって多分その感覚の違いなんだ。少しすっきりしたような気がします笑

 

「させていただく」という言葉は、この敬意漸減のなかで生まれてきた便利な言葉です。敬意漸減を、させていただくという言葉が相手との距離を取って使うことで緩やかにしている面もあるようです。

しかし、これも使っていくうちにどんどん敬意が漸減し、そのうちに使いづらい言葉になっていくのかもしれません。

言葉ってそうやってどんどん変わっていくんでしょう。

そういう言語感覚を、どんどん受け入れていって、なんだその日本語は!みたいに怒ったり、反発しないで、自分が年齢が上がっていったときに、若い人に教えてもらうことを楽しんでいきたいなと思います。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた。