バカの壁
おはようございます。
昔からよく聞く、養老孟子さんの「バカの壁」を、今更ながら読んでみました。
思っていたよりも、読みやすい本でスラスラスラと読めました。という感想をもっていたのですが、意外とこう書いてみると、何も出てこない笑
わかった気になっているだけで、何もわかっていないやつ笑
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自分として一番そうだなぁと思ったのは、
”「知るということは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」”
という一節があって、最初は、ん?
って感じだったんだけど、だんだんとあーそういうことかぁと腑に落ちていくような気がしました。
知るということで、知らなかった時とは、同じものを見ていても見え方が異なってくる。勉強をすることと、知るということは必ずしもイコールではないけども、勉強をするということは、知るということは、そういう見え方をどんどん変えていくことなんだなと自分は解釈しました。
意味がないと言えばそれまでかもしれない。だけど、私はもっと知りたいなぁと、もっと勉強したいなぁと感じました。
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”バカの壁というものはある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする”
確かに、一元論で生きている方が盲目的に何も考えなくていい部分はあって、ある意味楽だよなとは思いました。
会社という組織にも、一元論的なバカの壁はあるように感じていて、その中で何も考えずに、その中の価値観、バカの壁の内側からだけの世界で生きている。そんな人ばかりだなぁと感じます。
自分が今の会社で感じる違和感のようなものもそれなのかもしれない。
自分たちが正しいと思って、信じて疑わない。その壁の外側を見ようともしない。
他人が違うことをしようとすると、別に放っておけばいいものを、放ってはおけない。
「あの人とは考えも違うし、放っておけばいい」とはならない。あいつは気に入らない。と攻撃したりする。
安易に「わかる」とか「話せばわかる」とか「絶対の真実がある」という姿勢は危険だよなと思います。
特に、「絶対の真実がある」という考え方は、同調圧力により、さらに増幅されるような気がします。
なんだか難しいこと考えてたら、頭から煙が出そうです笑
今日はここまでにします笑
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた。