何が嫌だったのか。考えてみた。
こんばんわ。
昨日、そば打ちの体験に息子と妻と行ってきた。
まず私は人の話を瞬時に理解して、そのとおりに動く、能力が欠落している。
相手の話を理解する能力が欠落しているともいえるのかもしれない。
ある意味発達障害の一種なのかもしれない。
情報を処理するのに時間がかかるということで、処理できないというわけではないのですが・・・。
そのせいで小さい頃から本当に嫌なことがたくさんあった。小学校の先生にイジメというか嫌がらせをされたこともあった。
この点において、非常に強いコンプレックスもあります。
だから、レッスン系のものとか、直前に説明されてその通りに動くといった簡単なことがどうしてもできない。
だから、こういうものをやるとき、お前は本当に人の話を聞かないダメなやつだと言われてきた。
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そば打ち体験で、そば打ちをレクチャーしてくれる人の話が少しわからなくて、それで間違えた動きをした私は、案の定、妻に話を聞きなさいと指摘された。
そこで私は今までのことを思い出した。努力ではどうにもならないんだよね。
だから一回二回聞いたぐらいでは理解できないし、学校教育を受けていたときでは確実にできの悪い部類に入っていた。
そもそも。体験教室に行くってことは、そういう失敗も含めて体験だし、それを楽しめないんだったら、二度と行きたくないなと思いました。
言われたとおりにやることが大事だけど、まずはぐちゃぐちゃにして自由にやってみたり、失敗するっていうことに、価値を置いている自分にとっては、言われたとおりにやる、という体験は非常に苦痛なんだなぁということがわかった。
失敗してなんぼみたいなことを体の芯から思っているから、体験教室みたいなところに行くんだったら、失敗含めて楽しみたい。それができないんだったら絶対に行きたくない。金輪際私は参加したくない。
美味しいお蕎麦を食べたいなら美味しいお蕎麦屋さんに行けばいい。
むしろこの出来事をきっかけに、蕎麦なんて見たくもないし、食べたくないという気持ちすら湧いてきた。
私のように欠落がある人間には地獄なんだよな。
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そもそも自分は型にはめて物事をやるのが苦手です。型を覚えるというのは大事なのはすごくよく分かる。だけど、形を壊す遊びみたいな部分がすごく大事にしている。
電車の運転も、教わったところでブレーキを取って教わったようにやるのが大切ですが、たまにあえて違うところでブレーキを取ってみる。こういう少し変則的な遊びが、雨の日とか速度が狂った応用が必要なときに役に立ったりする。
言われたとおりにやるべきだし、言われたとおりにやらなければならない、そういう環境にプライベートの時間を使って、一度きりのチャンスをいかせず、劣等感を感じる自分にも嫌気が差す。
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諦めることも大事
日本人には、諦めることは逃げること、卑怯なことといった文化があるように感じます。しかし私のように致命的に欠落のある人間には、努力をすれば必ずできるようになるとか、できないのは努力が足りないから、気持ちが足りないからといった論理はすごくつらいです。
努力をして解決できることであればいいのですが、世の中どうにもならないこともあるから、これは諦めることにしました。
ただ私の場合は、情報を理解するのに時間がかかるのと、それを体現していくにも、時間がかかりますが、できるようになればあとは、その当時私ができなくてバカにしてきた人たち以上にできるようになることも多いので、あまり気にはしていないのですが、
そば打ち体験のようにその日だけですべてが完結するようなものについてはめっぽう弱いですし、不快なので体験教室には、今後いかないようにします。
もしいくとしたら、失敗含めて楽しめる人と行きたいなと思います。失敗を責める関係の人とは絶対に行きません。
※妻と行かないというネガティブな意味ではありません。妻はこういうところにはいかなくてもいいと言ってくれています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた。