くりりんのブログ

気が向いたときに更新します♪

人に教えるということ

おはようございます。

今日は人に教えるということについて書いていきたいと思います。私は、電車運転士になろうとする運転士見習に、乗務(実技・実地)を教えるという仕事をしています。

教えていく中で、不思議に思ったこと、課題や私なりのこだわりを持って教えていったことを書いていきたいと思います。

 

☆★☆★☆

電車運転士になるためには、学科教習4か月、実技講習5か月ほどの教習期間を経て国家試験に合格しなくてはなりません。私は実技の方を教えております。

実技では、運転操作やブレーキ操作、異常時の対応などを教えるとともに、自分の体験に基づいて、注意しておいた方がいいというポイントや心構えも教えることになります。

☆★☆★☆

教えていく中で、まわりの人の指導に違和感があった。

見習いを初めて教えていくにあたって、先輩や上司たちは口をそろえて、「見習いの先生(師匠)は、見習いから舐められたらおしまいだよ!」言ってきました。

私はうまく説明できませんが、違和感を覚えました。

少し前までは、運転士はお客様の命を預かる大変責任の重い仕事だ。だから厳しく指導するべきだ。そのためには、見習いを怒鳴りつけたり、罵声を浴びせたり、多少の暴力はやむを得ないし、土下座だってなんだってさせる、そんな雰囲気がありました。

当然私も見習いだった時は、つらい経験をしてきました。ところが、振り返ってみて、そのつらい経験は、今の自分の糧として役に立っているのだろうか、甚だ疑問でした。単なる嫌な思い出でしかないなと思います。

自分はそういう根拠のないスパルタ信仰が嫌いです。これは怒鳴りつけたり厳しくすることで成長をするという、「厳しくしないと成長しない教」という一種の宗教の信仰だと思います。根拠がありません。宗教そのものが悪いというわけではありません。

もちろん、事故につながるような軽率な行動があれば、𠮟るべきだと思います。これは最低限の知能が備わっていれば、話したら理解してもらうことが可能です。

もし伝わらないのであれば、伝える側のコミュニケーション能力か、表現力等の問題なのではないかと思います。厳しくすることが正義ということで、怒鳴りつける、胸ぐらをつかむといった行為によりわからせるというのは、伝える方は頭を使わなくて楽です。しかし、それでは伝えられる側は怒られている反省しているようにみせよう、でも何を怒られているのかわからないといった状態になりがちです。

ところがここ2,3年で、お客様からクレームが多発したこと、このハラスメントに対する関心が高まる中で、さすがにこのままではいけないという雰囲気になりました。

 

☆★☆★☆

指導するにあたって私は、個性を生かす

ということを、目指して指導をするようにしました。

相手に恐怖を与えて指導する方法では、委縮してしまいます。委縮してしまえば、どうしたら怒られないか、どうしたら無事にいられるかという思考にとらわれてしまいます。それでは、人の成長にはつながりません。ブレーキ操作一つとってもどうやったらうまくいくのか、自分なりに考えてもらうことが大事なのかと思います。もちろん私自身もアドバイスはします。あくまで考えて行動するのは見習い自身なのです。

人によって性格が違いますし、得意なこと苦手なこと、大切な価値観も違います。一つの価値観を押し付けるような風潮が、個人的には嫌だなぁと思います。

 

☆★☆★☆

成長するには

また一番成長するようになるのは、独り立ちしてからだと思います。先生と一緒だとどうしても甘えが出ます。

先生はカーナビのようなもので、カーナビを使いながら車を運転してもなかなか道を覚えません。先生というカーナビがいなくなってからの方が成長するスピードは上がると思います。

 

☆★☆★☆

人に教えるということは、きっかけを与えること

最低限の守るべきことやしなければならないことを体得したら、あとは、自分で考えて決めて行動するべきです。

厳しく指導すれば成長するなんて言うのは、呪いです。私の職場は呪いにかかっています。もしかすると日本全体として呪いがかかっているのかもしれません笑

厳しく指導することで、自由に考えることができなくなり、ミスを隠そうとしたり、ろくな結果にならないことはJR西日本福知山線の事故を見ても明らかだなと思います。

これから先色々なことが起こるかと思いますが、それについてどうしたらいいのかを考えて、行動するのは本人です。正解なんてものはありません。自由に考えて、自分の置かれている状況や大切にしている価値観を踏まえて、自分にとって最良の答えを出してもらいたいなと考えています。私は、その考えて決めたことを尊重したいです。

私が教えることで、運転士として独り立ちしていくと、そのあとは一人で運転をすることになります。そこで色々な経験をすると思いますが、結局その一つ一つの事象に私は立ち会うことはできません。そこで何を考えどう行動するかは本人が決めます。

私は本人が決めて行動するための、最初のきっかけでしかありません。私はあくまできっかけを与える存在として、どう関わればいいのかを考えて指導をしています。

 

☆★☆★☆

さいごに

人に教えるということは、教える側が実は教わる部分が大きいということを感じさせてもらっています。直感的にやっていることを、相手に言語化して伝えようとすることで、あれ?ここってわかっているつもりで、わかっていないのかもといったことがわかり、学びなおす機会にもなりました。

また、自分が教えた結果が良かったのかは、数年たたないとわかりませんが、厳しく指導することが正義という風潮を変えていきたいなと思います!

まずは自分の影響を及ぼせる範囲から地道にやっていきます。

もちろんお客様の命をお預かりする仕事なので、厳しさは必要です。ただし、その厳しさは、ただ歯を食いしばる、理不尽に耐えるみたいなことではなく、自己管理をしていくとか、常に学んでいくといったことではないかと考えます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。どなたかのお役に立てれば嬉しいです。